1838回例会「世界を股にかける冒険家!九里徳泰様」
皆さん、こんばんは。日が暮れるのがめっきり早くなりまして、朝晩はすっかり秋らしくなってきましたが、如何お過ごしでしょうか?
まずは、本日の例会で卓話者としてご講演頂く、九里徳泰様、奥様の林美砂様ようこそお越し下さいました。後ほど改めてご紹介させて頂きますが、本日アップル🍎までお付き合い頂けるとの事ですので、最後まで宜しくお願い致します。
さて、昨日一昨日と2日間かけて、松江しんじ湖RC輩出の石倉さんがガバナーを務めます第2690地区地区大会に当クラブ会員18名、家族2名総勢20名で参加して参りました。会場の最前列で紹介され、20名の大メンバーで立ち上がって挨拶をした際は、多きな拍手を頂きました。大懇親会では、2780地区と違って、1000人以上の参加者が居る文字通りの大懇親会でびっくり致しました。
その後、松江しんじ湖の古安会員の経営されているフレンチレストランでしんじ湖メンバーの皆さんと、懇親を深める事ができました。目的の一つである2月の周年記念式典のキャラバンとしては大成功であったと思います。
ご参加頂いたメンバーの皆さん、つなぎ役をして頂いた佐々木パスト会長、ホンマかいなの本間会員ありがとうございました。後日公共イメージ委員会から、レポートをHPに記載しますので、お楽しみください。
本日の例会は、世界を股にかける冒険家九里様の卓話になります。奥様の美砂様が経営されますギャラリーに熊沢会員のお知り合いの方が、行ったことのご縁から始まり、美砂様と熊沢会員がフェイクで飲んでいて九里様が合流し、卓話の話になり、本日の機会を頂きました。
本日は、ワクワクするお話が伺えると楽しみにしております。また、奥様の林様も茅ケ崎でギャラリーを営んでるとの事なので、その話もお聞きしたいと思っております。本日の例会を経て、九里様、林様が我々の新しいお仲間になられている事を祈念しまして、冒頭の会長挨拶とさせて頂きます。
松岡慶純会長
「冒険家」
相模女子大学教授 九里徳泰様
「南極にいどむ!!」アムルセンとスコットの物語を小学校の時に読み
冒険にあこがれる。南北米大陸28863㎞の旅
期間1989年7月~1996年2月まで約7年かけて南北米大陸を人力で縦断。アラスカの海では、真近にクジラに遭遇し、鮭を蹴りで捕獲し、さばいて食べたそうです。
鮭を残して次の日に食べようとすると匂いにつられて熊が来るので、勿体無いが残りは、川に投げたそうです。
またアマゾン川では、風呂、洗濯、飲み水等すべての生活用水をアマゾン川の水で過ごす。
濁っているイメージあるかと思いますが、川の中は砂地なので、
少し経つと透明になり飲むと凄く美味しいらしいです。
そして、毎日寝る前に裸になり同伴している旅仲間と何か所虫に刺されていたかチェックするそうです。
九里さんは、一日で100か所以上刺されたみたい😮
人間の体に卵を産み付ける虫もいるみたい😢
移動手段は、陸→足、水→カヌー(組み立て式は初だそうです)、陸→自転車
多くの危険な場所を行ったそうですが、一番怖いのは、動物ではなく人間
だそうです😖
・期間=6年8か月・移動日数=525日・移動距離=28863㎞
・費用=約300万円・使ったMTB=4台・漕いだカヤック=4隻
・履きつぶした靴=9足・使ったコンロ=5台・撮ったフィルム=500本
・日本とアメリカの往復=8往復
現在も挑戦は続いていて、ご夫婦でオーストラリア大陸を、北から自転車で縦断、息子様と自転車で日本縦断や、相模女子大のゼミ学生と地方の自治体を巻き込み県の事業にしたりと、九里さんの活動は広がっている。
今後のご活躍が楽しみです。九里様と林様の我が茅ケ崎中央RCへのご入会をお待ちしております。
林様のギャラリーと旅館をオープンするそうです。
九里様の著書や、取材された雑誌。
「葛飾北斎」
先日2690地区大会に行ってきました。場所は、松江でした。その会場で
葛飾北斎の絵が印刷された厚紙で、ペーパーバックを作るコーナーがあった。
やってみたら、北斎のお話しの冊子をもらった。茅ケ崎に着き何気ななく
見ていたら、島根県出身の永田生慈さん(1951-2018)が、北斎の
作品や資料・2000点以上を故郷の島根県に寄付をしたからこんなにも
たくさんあるようです。
皆さんは知っているかもしれませんが、北斎は、名前を何回も変えたんですね
葛飾北斎と名乗ったのは、40才中頃から50才代中頃のこと。
実は、春朗・宗理・北斎・戴斗・為一・画狂老人卍などそれまでの自分から
脱皮するように、新しい名前と共に新しい分野にチャレンジしたそうです。
私も、正基・マサキング・トマホーク・ムテキング・バサロGOGO・天狗
と変えて、新たにチャレンジしていきます。
北斎は、さまざまなテーマの作品を描いたそうです。女性や、動物、お化け
富士山、武将、漫画など(凄いですね、今の礎になっているに違いないです)
北斎が75才の時、これからの自分の画家人生について次のように記して
いるそうです。「画家として90才で奧意を極め、100才で神の域に達し、
100数十才で一筆一筆がまるで生きているような絵をえがいているだろう」
と。常に新しい分野にチャレンジし続け、過去の自分を乗り越えようとした、
北斎らしい言葉です。1849年4月18日、北斎は90才で亡くなります。
その亡くなる直前まで、北斎は真の画家となることを願い続けた、
と伝えられています。(北斎のおはなし引用)
北斎は、目標が達成したら、その上の目標と追い続けていたんでしょうね。
凄い。
私なら、「我が生涯に一片の悔いなし!!」